2013年4月19日金曜日

南田の核廃棄物中間貯蔵予定地を訪問、蘇貞昌:原発に堅く反対し、部落を守る


民進党の蘇貞昌主席は19日、台東県の達仁郷南田村に向かい、台電が指定している核廃棄物中間貯蔵予定地を訪問した。前副総統呂秀蓮、南田村大龜文王國首長呂劉金花、及び前達仁郷長の張金生氏、徐光蓉教授等台東に関心のある人々を伴った。現場に到着し、「反原発、部落を守る」記者会見を開くとともに、部族の生命と反原発の信念が続く象徴となる石碑を建立し、蘇貞昌主席は挨拶で、「自分にして欲しくないことは他人にしてはならない。政府は処理できなくて誰も欲しくない核廃棄物を、勝手に南田部落に置くことは無責任である」と述べた。そして、台電と政府に第四原発建設の即時停止と、原住民族の生活の権利を犠牲にしないよう呼びかけた。 

自分の土地が核廃棄物の貯蔵場になることを思い、大龜文王國首長呂劉金花は辛くて泣き出した。1947年に彼女が蘭嶼から台東南田村にやってきた際、祖先の霊がこの土地を私に与え、私にはこの土地を保護する責任がある、と述べた。そして彼女は、台湾電力が恐ろしく有害な核廃棄物を南田村に置くと知って以来、毎日よく眠れず、この美しい土地が汚染されるのではないかと非常に心配している、と述べた。87歳という高齢の呂劉金花さんは、南田村に関心をもってくれる人たちに非常に感謝し、皆が彼女と一緒に南田村を守ってくれることを希望していると語った。 

前達仁郷長の張金生は、「この土地は我々のものであり、なぜこの台湾で最も美しく、最も素晴らしい場所が選ばれたのか。我々が最も嫌いな、悪魔のようなものをなぜここに持って来るのか?」南田頭目一族は全力で反対し、執政者と原発賛成の人々に南田村村の人々の気持ちと決心を理解して欲しいと述べた。張金生郷長は、台電はいろいろな手で、この計画が達仁郷における投票で通過するように企てている。しかし達仁郷のこの土地に立ち、「なぜ我々は住民投票をしなくてはならないか?」「我々は住民投票の必要はない。ここは我々の土地である。なぜ我々の運命を皆が決めなければならないのか?」「万が一採択されたら?あなたたちに何の関係があるのか?」と語った。彼は、台湾の同じ土地に暮らす全ての人に、互いに尊重し、原住民の歴史、財産、人々の命を尊重するよう呼びかけた。 

呂前副總統は、山紫水明な場所に突然大量の核廃棄物が置かれることは想像し難いことで、我々の東台湾が汚染され始めることであると述べ、前副総統は、当時台電は核廃棄物を蘭嶼に置き、蘭嶼の人々に魚の缶詰の工場を作ると騙して、230年たって、蘭嶼の人々の健康に赤信号が灯ることになった。「かつて蘭嶼で犯した過ちを、我々はまたそれを犯すのか?」と指摘した。 

蘇貞昌主席は挨拶で、皆日本の福島の原発事故を見て、日本の工学技術と管理能力が台湾よりも厳しく正確であるのに、日本の福島で原発災害が起こった。周囲30キロの30万人は移住しなければならなく、現在まで家があっても帰れず、これだけでなく、原発の死の灰が250キロ離れている東京の用水にも問題がでている。東京で妊娠中の母親は水を飲めず、政府は市民に水を確保しなければならない、と述べた。

蘇主席は、日本はいまだ原発の脅威にさらされ、台湾は日本よりも密集した原子力発電所を有し、10数年に渡って、何度発注してもまだ完成しない第4原発を抱えている。何度もトラブルがあった第1、第2、第3原発、何万年たっても処理できない核廃棄物を抱え、結局電力の便利さを享受している都会の人々は、最後に処理の出来ない核廃棄物を、最も遠く、最も罪のない、最も美しい山海の原住民の部落である達仁郷に放置する。これは本当に不公平なことだ、と述べた。

彼は、現在台電はこともあろうに、「決めた」と言って、南田村に山洞を作って核廃棄物の中間貯蔵施設を準備し、港を作って、核廃棄物を運び、山洞に詰め込んでいる。「なぜ自分が要らないものを、罪のない人のところに持っていくのか」「自分で処理できない問題を、罪のない人々に押し付けるのか」と語った。現在原発の便利さを享受しているが、結果次の世代がそれで生み出された汚染を受け入れることになる。「どこにこのように無責任な政府があるか?」民進党は責任を持ち、公平正義の側に立ち、原住民、和達仁郷の人々の側に立つ。民進党は反原発を恐れず、第四原発停止を要求する、と述べた。
 
主席は、脱原発を打ち立てることは、民進党の長年の主張であり、党綱領にはっきりと書いてあることだ。原発災害の危険性が人々を心配させているというだけでなく、最も重要なことは、永遠に処理することのできない核廃棄物があることである。国民党は蘭嶼の人々の人の良さを利用して、10万バーレルの低レベル核廃棄物を蘭嶼に置いた。そこで、民進党は、法律を作って、もし核廃棄物を処理するならば、その土地の人々の同意を得なくてはいけないとした。今日もしあの時の民進党の法律がなければ、国民党は現在既に核廃棄物を南田村の山に持っていっていたかもしれない。全く地方の同意を得なくてよいのである。主席は、皆で脱原発の努力をし、台湾の美しい土地と人々を守るために努力することを呼びかけた。
 
蘇貞昌主席はその後、「台湾のシュバイツアー」と呼ばれている徐超斌医師を訪ねた。徐医師は長期間医療資源の乏しい台東達仁郷で診療に当たり、長年の疲労の蓄積により軽度の脳梗塞となり、身体が少し不自由になった。しかし、この土地で成長した彼は、引き続き自分の故郷の達仁郷で人々の診療に当たっている。そして、僻地の達仁郷により多くの医療資源が与えられるよう、積極的に南迴醫院の設立準備に当たっている。蘇主席は徐医師の献身的な行動の精神に敬服し、徐医師の病院設立という偉大な志を支援し、多くの人々が徐医師を手伝い、早く達仁郷に完全な医療設備の整った病院を完成させようではありませんか、と呼びかけた。
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